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Massive Curiosity

日常で疑問に思ったことを言語化してアウトプットしていくブログ。旅、webサービス、デザイン、アイデアなど。

社会への無関心と悔しさ、悲しみ、そして希望。

東南アジアに来て2週間が経ちました。

2週間前を振り返るとものすごく昔のような、でも日本での生活を振り返るとつい昨日のような、不思議な時の経ち方を感じる今日このごろ。

こっちに来てから、自分のダメなところが徹底的に洗い出されているので、恥ずかしながらそのすべてを赤裸々に書いてみたいと思います。

正直、このエントリーから学ぶことは無いと思うので、お忙しい方は見ていただかなくても大丈夫です。

 

 

世の中は、思っていたよりも問題にあふれていた。

この旅で、いろんな問題について考えさせられることが多々ありました。

貧困、差別、テロ、宗教、偏見、教育、労働、経済、法律、インターネット、ボランティア・・・。

迷宮の中を彷徨って、問題という問題に次々とぶち当たり、そのとき感じていた問題に対する解決の糸口を見つけられずに次の問題が目の前に。そんな毎日です。

例えば、タイ人が隣国のことをあまり良く思っていないという事実。ぼくが話したタイ人は、”It’s a kind of discrimination”と言っていて、ほんとうにびっくりしました。ASEANとくくって一緒にしがちだけれど、当の本人たちはお互いを経済以外のところではよく思っていないようなんです。(もちろん、全員じゃないはず)

カンボジアでは、貧困について考えることがしばしば。結婚式が行われる外では、式で振る舞われる食べ物が捨てられたゴミを漁る子どもたち。悪臭漂う道の近くで暮らすひとたち。発展している日本やタイとは全く違う世界が、そこにはあったのです。

いろいろな問題には世の中にあふれていて、それらを自分の目で見るということは、言葉以上の力があります。

 

また、発達障害を持つ方にインタビューする機会がありました。人前に出るのがいやだったと話していたので、「どうしてそう思うんですか?」と聞くと「自分は目立ってしまうから、みんなに見られてしまうことがいやだったんです。」と目に涙を浮かべながら話してくれて。

そのとき、ぼくは全く相手の立場を考えずに聞いてしまったのだなあと深く反省したとともに、「じぶんは、あらゆる問題に関して、なんて無関心なのだろう。」と自分自身に驚きました。

 

世の中への無関心。

というのも、とても仲良くさせてもらっている友だちの思考に触れることがあったから。彼女は元々ジャーナリズムに興味があり、同時にファッションや海外という視点にもかなり関心を持っているので、11月中旬から短期でフランスに渡航予定だったそうです。

けれど、例のテロが起きて、渡航を断念。そこまでに、いろいろな葛藤があったみたいなので、詳しくはそのブログを読んでほしいのですが、とにかく、その子が国際問題に持つ当事者意識がすさまじくて。

ぼくは、10歳のころからフランスに行くことを人生の夢に掲げていたのにも関わらず、今回の件に関して、あまり情報を追っていませんでした。けれど、彼女はそこに対して真正面から真剣に考えていて、それがインタビューのときに重なりました。 「どうして、ぼくはこんなに世の中に対して無関心なのだろう。」と。

最初のほうにあげた数々の問題もそうです。単語並べて向き合った気になっているけれど、果たして「当事者意識」を持って、ぼくは向き合えているのでしょうか。正直、これまでは向きあえていませんでした。

人一倍好奇心を持っているはずなのに、目を背けたくなるような問題に関しては、まるで同じ世界のことではないかのように知らんぷりをかましていたのです。

 

悔しさに苛まれる日々。

この事実は、自分にとって恐るべき事実でした。「すべてのひとがフラットな選択肢を持つべきだ」と言ってみたり、「日本の若者は海外に出るべきだ」と言ってみたり、「好奇心はあります!」とか言ってみたりしているけれど、自分に関係ないことには真正面から向き合っておらず、どこか他人事として見なしていたんです。まるで、まったく違う世界のことであるかのように。

ほかにも、この旅で自分の雑さや仕事のできなさ、視野の狭さが露呈しました。

例えば、タイで自分の団体に入ってくれるひとを見つけ、その人と面会したときのこと。ぼくは、とくに考えずに、ショッピングモールのフードコートを選んだのですが、同席したうちのメンバーに「相手のこと考えた?」と言われて。正直、話せればいいと思っていたので、場所はどこでもいいかな程度にしか考えていなかったぼくは、思慮の浅さというか、思いやりのなさというか。すごく自分に落ち込みました。

また、英語を専攻している身なのに、ネイティブな英語を話せる台湾人を前に萎縮してしまい、うちの副編集長に助けてもらったり。大手人材企業の海外支社に行った時は、は自分の視野が狭すぎて、マネージャーの方に鼻で笑われる始末。

諸々重なって、タイ滞在のさいごのほうは、涙があふれるほど悲しくって。いいことたくさんあったけれど、辛いことのほうが多い東南アジア渡航だったんです。一人旅だと打ち明ける人がいないので、こうやってブログに頼ってしまいますね。(笑)

 

さいごに。

でも、だからこそ来てよかったなあと、いまほんとうに思います。

自分の無関心さ、雑さ、できなさをダイレクトに感じて、自分と向き合って。結局おれは何がしたいんだっけ?と自問自答して、夜通し語り合って、つぎのステージへの道を見つけて。 そんな繰り返しをできたことは、東南アジアに来たからこそでした。

まったくまとまりませんでしたが、このエントリーは自分の悔しさを言語化して、この気持ちを忘れないようにしようと思うための備忘録みたいなものです。また、次回からは何かみなさんの気付きになるような文章を心がけていければと思う、今日このごろです。

ここまで読んでくれた方、ありがとうございました。

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