Massive Curiosity

日常で疑問に思ったことを言語化してアウトプットしていくブログ。旅、webサービス、デザイン、アイデアなど。

何でも話せる友だちって大切なんだと、心底感じた理由。

f:id:foo1048:20151028011341j:plain

いま、わけあって大学をお休みしているのですが、そうすると大学の友だちと会う機会が減るわけなんですよね。

ASEANで働く」というコンセプトを掲げている以上、休学中に接するひとたちって、いわゆる「意識が高い」ひとたち。それもいいけど、大学とかの既存のコミュニティにいる「何でも話せる友だち」とはコミュニケーションを取り続けるべきですよね。

そんなお話です。 

成長機会を見逃さない・・・。意識高いのか、自分。

先日、なんでも話せる友だちと久しぶりに会いました。そこで、ある気付きを得ます。それは、ここ半年くらい「そう思った原体験は?」とか「将来のビジョンって?」とか、インタビューで聞くような会話がデフォルトになってしまっていたんです。

インタビューをするようになってからというもの、いかに原体験に紐付いた活動と、これからのビジョンの筋を通すかばかり考えていたから。それを日常生活まで持ち込んでいました。

だって、このひととき、この会話から、何かを学び取りたいんですもの。何気ない会話も密度濃くありたい。

でも、普段の会話で、そんなビッグテーマ振っても、ふつうは困るんですよね。困る。だから、マス層には「あいつ意識高いなw」って思われいてたんだなあと。

そんなことも、自覚していなかったなんて。自分。

 

 生産性を求めること。いまはいいけど、それって幸せ?

そんなことを考えていた矢先、いまのぼくを撃ちぬくようなワンフレーズに出会いました。

大学でまわりの女の子たちと恋バナするのも、人脈作りとかマーケティングの一環という感じ(笑)

仕事につながらない遊びってあまりないですね。


(参照:自己分析するヒマがあったら働くべし! 「意識高い系」なんて揶揄は無視。ワーキング大学生のキャリア観 | CAREER HACK

つまり、 何をするにも自分の活動・仕事に役に立たないと、意味を持たないよね、ということでしょうか。

確かに、生産性はあるかもしれないし、仕事では成功できるかもしれません。

でも、恋バナに付き合う女子の立場からしたら、”友だちとして”ではなく、”マーケティングの材料に使われているだけ”ですよね。

それって長い目で見た時に不幸な気がして。

仕事上の友だちしかいなくなっていき、そこには生産性を求めるコミュニティが形成されていく。そこには、自分の成長になることを優先課題とするひとたちしか集まらないので、やがて歪が生まれていくでしょう。

・・・息苦しいです。

 

(注:この女性を否定しているわけではありません。あくまでもぼくの偏った意見です。だからもし、この記事をご覧になったら、どうかお気を悪くなさらないで。)

 

ぼくも、この路線まっしぐらでした。けれど、常に成長機会を探るのではなく、何でも話せる友だちとのなにげない会話も楽しんでいたい。そんなゆるさを忘れないでいたい。

それが性に合っているなあって。

 

さいごに。

「だから、意識高いひとは嫌われる。」

そんな話じゃありません。

伝えたいことは、もしもぼくみたいになっている人は、「なんでも話せる友だちを大切にしないと、やがて彼らは離れていっちゃうよ」ということを知っておくべきだということです。

これからは、やるときはやる、やらないときはやらない、というオンとオフの切替を意識してみようかなって思います。

それが自分に合わなかったらまた戻せばいいし、「どっちが良い、どっちが悪い」と決めるようなことでもないから、肩の力を抜いてゆるくいきたいなあ。

 

 

そう気づかせてくれる友だちがまだいてくれて、よかった。

 

 

ここまで読んでくれた方、ありがとうございました。

 

広告を非表示にする