Massive Curiosity

日常で疑問に思ったことを言語化してアウトプットしていくブログ。旅、webサービス、デザイン、アイデアなど。

写真をすぐシェアする現代だから!五感をはたらかせて旅するススメ。

(この記事は、今年のはじめに書いたものをリライトしたものです。)

2015年1月2日、新年一発目の一人旅に出ました。今回は、そこで感じた、視覚しか機能しない旅について書いていきます。

ついての記事電車に揺られること約2時間、鋸山のある浜金谷へ行きました。夏の房総半島一周旅の時に通りましたが、その時は真夜中だったので観光していません。芸術の街としてまちおこししていると聞いたのと、13年ぶりの鋸山が気になっていたので行きました。

2015年の正月はインターネットを一切使わず本を読んだり、自分と対話する時間を作りました。もちろん、この旅も完全オフラインでiPhoneは家でお留守番です。現地の情報と直感を大事に旅しました。

この旅では、鋸山を散策途中に不思議な感覚に囚われ、「五感をはたらかせること」について考えました。

 

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鋸山

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日本最大の大仏様。歴史は浅いとは言え、でかすぎる。。

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金谷美術館。岩波昭彦 個展を堪能。日本画ってキレイ。

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廃ホテルを使ったシェアアトリエだったKANAYA BASE。

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KANAYA BASEの一部屋。2014年いっぱいで閉館してしまったそう。勝手に入ってごめんなさい。(またリニューアルした模様。)

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保田近くの浜辺にて。

Instagramにアップするために、写真を撮ることについて。

写真を撮りまくって観光していたとき、ふと思いました。

「この写真って、SNSでシェアするために撮っているのかなあと」

最近、FacebookTwitterに続いてInstagramも始めてみました。これは前者2つとは違い、写真(or 動画)がマストのSNSです。またTumblrやPinterestのようなサービスもあり、世は写真シェアブームです。

こんな時代だからこそ、ぼくの周りにも良い写真を撮ってシェアする人が多いです。良い写真を撮ってシェアすると、たくさんの“Likes”、つまり”いいね” がもらえます。ぼく自身、SNSの利用する理由としていいねが増えていくこと自体が楽しみになっているところがあります。

旅先の写真って、シェアするためだけに撮っているのかなあと感じてしまいました。果たして、こんなにSNSに囚われてしまっていいのでしょうか?

ぼくは「別に構わない」という考えを持っています。より良い写真を取るための重要なモチベーションとして機能するし、キレイな風景やユニークな光景が友達にシェアされることによって、個人の欲求を満たせます。極論、個人の自由ですが。

ただ、忘れてはならないことがあります。

それは、五感を使って旅をすることです。

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触覚や嗅覚、機能していますか?

良い写真を撮ることだけに気を取られていると、せっかく遠出して観光をしているのに、視覚しか使っていないということになりかねません。写真の練習も結構ですが、きちんと現地の雰囲気や匂い、音、風、気、みたいなものを感じ取ることが大切です。視覚だけしか使わないということは、それこそFacebookInstagramで流れてきたキレイな写真に”Like”を押しているだけになってしまいます。

最近は、「死ぬまでに行ってみたい絶景」とか「ニッポンの名景」のような、絶景を売りにする本やwebの記事が多いです。それが今の日本人のニーズだとはわかっていても、見過ぎるといくらキレイでも感動は薄れます。写真しか見ていないのにそれの見すぎで、もはや行った気になっている人もいるかもしれません。

しかし、写真と現場は違うのです。行った人にしかわからない感覚があり、それは到底FacebookInstagramだけでは感じ取ることができません。

キレイな景色を見ると、そこで感じるものがあります。今回のぼくの場合、この記事を思いついたわけで、大きな学びとなりました。前回京都に行った時は、クリエイティブ・タイムの存在を確信しました。インドに行った時は、多様性に富んだインドという国への考えがますます霞み、一度は嫌いになったものの、また行きたいと思わせる不思議な感情を抱きました。

その感情の変化は、現地の空気に触れて、五感が刺激されたからこそではないでしょうか?

さいごに。

今回の記事は、旅慣れしている人やSNSでいいねがつくことで満たせれている人への警鐘であると共に、自分への戒めでもあります。

鋸山を歩いて下っている時、ふと感じました。今見ているこの景色が写真だったとしても、まるで遜色ないと。つまり、視覚以外の五感が全く機能していなかったのです。

五感をはたらかせると、絶対に現地でしか感じないこと、考えないことがあるし、唯一無二の時間を過ごせます。

そういったい意味では、いわゆる「スタンプラリーの旅」なんてものは存在しないだろうし、そう感じてしまう人の五感は機能していないのかも。

ここまで読んでくれた方、ありがとうございます。