Massive Curiosity

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世界から◯◯が消えたなら。

読みました。

世界から猫が消えたなら (小学館文庫)

世界から猫が消えたなら (小学館文庫)

 

 おそらく書評を書かれている方はたくさんいるので、印象に残ったフレーズとそこから感じたことを書いてみたいと思います。

*まだ読んでいない方にはネタバレ注意です。

 

死を目の前にして。

主人公は明日には死んでしまうと宣告され、そこに悪魔が現れる。寿命を一日延ばすかわりに、何かを世の中から消す。主人公は電話や映画、時間をこの世から消していく。そして大好きな猫を消すかと問われ、迷う。

このようなストーリーに、亡くなった母と猫、別れた彼女、4年間連絡を取っていない父など、数人との関係性がうまく絡み合い、様々なメッセージを伝えてくれます。

 

まず、描かれていて驚いたのは「死を目の前にした人間の姿」です。

死を目の前にしたことはありませんが、なぜかリアリティを感じました。この場面で、自分も死を目の前にした状態をイメージしてみると、自然と主人公のような、すなわち妙に落ち着き払ってしまう対応をしてしまうのでないだろうか。そんな自己投影から、徐々に本の世界に引き込まれていきました。

喪失の意義。

「愛する」とは「消えてほしくない」ということなんだ!

解説文のさいごのさいごはこの言葉で締めくくられます。

ハッとしました。

正直のところ、今まで「今おれは愛を感じているぜ!」と思った瞬間が無かったありません。ただ、終わってからその愛なるもの感じたという経験は何度もありました。同じように感じていたことだからグッときました。

無くなることを意識することによって、無くならないことがより強調されます。喪失の意義は、その大切さを実感するためにあるんだなーと感じました。

よく、人が無くなってからその人が再評価される動きがあります。それってまさしくこのことなんでしょう。死ぬまではマイケル・ジャクソン高倉健さんも意識したことはありません。カート・コバーンやフレディー・マーキュリー、ジョン・レノンブルース・リーがこんなに有名なのは、むしろ亡くなっているからなのかなとまで思います。

かと言って、死んでよかったと思うわけではありません。ただ「あの人が生きていたらなあ」と思うことによって、その人の存在が際立つのです。

もし自分が消えたなら?

たくさんの響く言葉がありましたが、物語の世界から離脱したくなかったので、あえてメモは取らないようにしていました。しかし、一箇所だけ、どうしてもメモを取らざるを得ないフレーズがありました。

自分が存在した世界と、存在しなかった世界。そこにあるであろう、微妙な差異。その小さな小さな”差”こそが僕が生きてきた”印”なのだ。

今までの人生、自殺を考えたことはありませんが、もし自分が死んだらどうなるんだろう?と考えたことはたくさんあります。

誰がお葬式に来てくれるんだろうか?誰が泣いてくれるのか?死んだ自分を皆はどう評価するのか?
そんなことを考えていましたが、それは全て”印”を求めていたのかなあと思えてなりません。自分が他人に提供できた価値。それを作り出すために親をはじめ周りの人がかけてくれたコスト。そう考えると、生かされているなあと強く感じるし、自分が死を望んだとしても命は自分の所有物ではないから、それはダメだとわかります。

せっかく印ができたんだから、できるだけその印を大きくしてからガンジス川に流れようと思います。

さいごに。

非現実的な話ではあるんだけど、妙にリアリティがあります。そこに多くの共感が生まれたのでしょう。

この本のメッセージとして「失ってからその大切さに気づく。だから、失う前からもっと、大切にしよう。」が汲み取れますが、なんだかそれだけじゃなくてもっと深いところにあるんだじゃないかなあと思います。今はわかりませんが、自分自身ももっと多くの喪失を経験したら見えてくるのかなあと思います。

 

ここまで読んでくれた方、ありがとうございました。

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